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写真「このたび、後ろ写真家を名乗らせていただきたく」その4



まとまった文章を書くのがいささか面倒になってきて
ブログ更新をさぼっていたので、
リハビリを兼ねて、写真中心でとりあえず再開。
てなこと言いつつ、はや四回目。

フィルムカメラは苦手だったが、
失敗を恐れずバシバシ撮れるデジカメならOK。
さらに、後ろから撮るという卑怯な手を思いついて・・・

『後(うしろ)姿写真家』を名乗って―
今回のテーマは『東西のロボット、タイマンを張る之図』

数年前、突如!台場の潮風公園に巨大なというか実寸大のガンダムが出現した。
それから時を経ずして、神戸の新長田に、これまた実寸大の鉄人28号が登場した。
ガンダムをロボットと断じてしまうと、マニアやファンからは異議を唱えられる
かもしれないが、そこはテーマの都合上ご容赦を。

後ろガンダム縮小
関東モンは愛想が無いなあ
とても良くできてて、悪くはないのだけれど、どうもポーズがイケない。ただ突っ立ってるだけで
余りにも愛想が無い。もし保守点検のゴンドラ無かったら、素だね、ス!


後ろ鉄人縮小
関西はたっぷり、かかってこんかい!
後ろからでもこの迫力。巧みなポーズ設定が効果満点。向かいのマンションから
今にも何か飛んできそうな気配が・・・

後ろ鉄人、子供縮小
神戸のロボットは子供に好かれとお
ワンポーズなのに、カメラの位置やアングルをわずかに変えるだけで、雰囲気が
違って見える。丸っこい優しいラインだから、まとわりつくように子供たちが次々にやって来る。

勝ち負けをあえて言うのも野暮なので、ではまた次回。

写真「このたび、後ろ写真家を名乗らせていただきたく」その3

まとまった文章を書くのがいささか面倒になってきて
ブログ更新をさぼっていたので、
リハビリを兼ねて、写真中心でとりあえず再開。
※キャプションだけで済むので

フィルムカメラは苦手だったが、
失敗を恐れずバシバシ撮れるデジカメならOK。
さらに、後ろから撮るという卑怯な手を思いついてからは
けっこうオモロイシーンが撮れるようになった!と自負している。

なので、この後(のち)、『後(うしろ)姿写真家』を名乗り、
自慢の(笑)写真を何回かに分けて発表させてもらいます。


今回のテーマは『世界のアッチこっちから』

後ろキュランダ縮小
親子写真の定番、肩車
ふと思ったのだが、「かたぐるま」て若干意味不明では。ここはオーストラリア、ケアンズの
キュランダ高原鉄道、バロン滝駅。

後ろオンフルール街縮小
後ろオンフルールばあちゃん縮小
幸せの美味しいチョコレート
作曲家リストの生地にして、印象派の画家たちが愛したフランス、ノルマンディー地方の
港町、オンフルール。チョコレートは自分のため、孫のため。背中がちょっとだけうれしそう。

後ろプラハ大聖堂縮小
信徒100人、唖然とドームを見上げる之図
数えたわけではないが、みなが一斉に天井を見上げた。チェコのプラハ城内の大聖堂にて。

後ろフェラーリ警官縮小
フェラーリよりも凛々しいその後ろ姿
シャンゼリゼの大通りに路駐する不埒なフェラーリに向う女性警官。リアデザインは彼女に軍配。

後ろプラハママ縮小
妻はちょっとプンプン
ダンシングハウスめざしてプラハ城横の河の畔を歩く妻。地図を見間違えて反対方向に2キロも
あるかせてしまったので、私には怒ってるように見えるのだが。

本日はココまで~

写真「このたび、後ろ写真家を名乗らせていただきたく」その2



まとまった文章を書くのがいささか面倒になってきて
ブログ更新をさぼっていたので、
リハビリを兼ねて、写真中心でとりあえず再開。
※キャプションだけで済むので

フィルムカメラは苦手だったが、
失敗を恐れずバシバシ撮れるデジカメならOK。
さらに、後ろから撮るという卑怯な手を思いついてからは
けっこうオモロイシーンが撮れるようになった!と自負している。

なので、この後(のち)、『後(うしろ)姿写真家』を名乗り、
自慢の(笑)写真を何回かに分けて発表させてもらいます。
乞うご期待!(誰もせんか・・・)

今回のテーマは『イベント』

後ろNHKキャラ縮小
後ろ姿も完璧なNHKの人気キャラ
ゆるキャラは意外に激しい動きをするのだが、このコはとてもおっとりした動きで、
育ちの良さ(?)を醸し出している。

後ろハッピ縮小
ちょいとイナセな商店街のおやっさん
大阪 難波宮旧跡で開催された「大阪あきない祭り」の運営に関わった。
2日間で15万人が来場。


後ろくまもん撮り縮小
くまもん激写
会場で圧倒的な人気を誇るくまもんも、この人の撮影ポーズには脱帽!

後ろよさこい縮小
えいやさっ! こらさっ! ヨサコイさっ!
当日会場では20数チームが参加して「よさこい大阪大会」が開催された。若者はもちろん、おじさんも、
おばさんもこの激しい踊りをこなしていた。

次回をお楽しみに。

写真「このたび、後ろ写真家を名乗らせていただきたく」その1

みなさん、ご無沙汰しておりました。
まとまった文章を書くのがいささか面倒になってきて
ブログ更新をさぼる日々が続いております。
で、リハビリを兼ねて、写真中心でしばらくやってみようかと
思い立ち、ま、とりあえず再開。
※キャプションだけで済むので

以前、カメラは苦手と書きました。
フィルムカメラは、現像するまで結果がわからぬ恐怖にビビッて
シャッターチャンスを逃しまくりでした。
デジカメになって、失敗を恐れずバシバシ撮れるようになっても
どうも、人が苦手で、被写体の眼差しに腰が引けることしきり。

後ろ神楽坂おやじ縮小
神楽坂夕景
転機になったのはこの写真。このチャラそうなおやじを後ろから
ぱちり。こりゃ気分が楽だと開眼。
でも、いきなり振り返られて、それが寺島進ばりのこわもてだったので、
ちょっとびっくり。

以来、このパターンが小心者にはぴったりで、けっこうストックも
できた。
なので、この後(のち)、『後(うしろ)写真家』を名乗り、
自慢の(笑)写真を何回かに分けて発表させてもらうことにしました。
乞うご期待!(誰もせんか・・・)

後ろ横浜カップル縮小
恋する横浜
赤レンガ倉庫を抜けると海上保安庁。無粋かと思いきや、白い船体は意外とやさしげに見える。

後ろパリジェンヌ縮小
これをパリジェンヌと言わずして
凱旋門の横を颯爽と足早に歩く彼女はイメージ通り。

後ろ事務局長縮小
かかってこんかい!大阪マラソン
オフィスではH&KのMP5なみの愚痴とタメ息連発の事務局長が、商店街の人々を束ねて
給食AIDを運営。無慮3万人のランナーに立ち向かう~

後ろ周荘老人
颯爽と周荘の老人
中国のベニスと言われる運河の村―周荘。ベニスはどんな心持ちであろう。
多くの観光客でにぎわう通りを一筋入るとこの静寂感。ご老体は風のように、
そして、足音も無く歩き去った。

ということで、本日はここまで。
次回をお楽しみに。

街「京はいにしえ―大文字 五山の送り火におもふこと」


いにしえ、とは本来、自分が生まれていない遠い過去のことを言うらしい。
65という齢を迎えた私にとって、幼少期を過ごした京都の思い出は、その意味のごとく、
はるか彼方のこととなった。

8月16日、今日は五山の送り火。
60数年前、私たち幼い子供たちは「大文字焼き!大文字焼き!」と
無邪気にはしゃいでいた。
いや、まわりの大人たちから「五山の送り火」という言葉を聞いた記憶もない。

0405.jpg
■生家の前の小道、その向こうには京都タワーが聳える

私の生家は国鉄京都駅の北側、七条新町にあった。
物心がついた1950年頃、まだ東京や大阪が大空襲によって焼け野原であった頃、
空襲を免れた京都では、そんな光景を目にすることは無かった。
けれども、家の隣は「洛陽ホテル」という進駐軍の専用ホテルだった。
戦争に負けた、という生々しい事実がそこにあった。
04052.jpg
■その建物、現在は関西電力の社屋になっている

小さなミカン箱
貧しい時代だった。
我が家の2階に暮らしていた親戚の新婚夫婦は、生まれて間もない赤子を失う。
貧弱な医療環境、厳しい食糧事情であったが、子を生し家庭を築こうとする想いは、
今の人々の百倍は強かった、のではないだろうか。
幼子の眠る、棺がわりの小さなミカン箱にとりすがる若き母親の後ろ姿は、今も目に
焼きついている。

おじさん家のトースト
貧しさが等しく降り注いでいたわけでもない。
我が家の裏手に住んでいた中年夫婦の朝食は、コーヒーと食パンにバターをたっぷり塗った
トーストであった。
60数年前の私には、それがいかなるものかわからず、それでいてとても洒落た食べ物であることだけは
感じていたようだ。
食べたかったわけではない。
焼けた食パンにバターを塗り込める、カップに黒褐色の液体を注ぎ込む、その光景が見たくて、
よそ様の家に上り込んでいた。
どんな出自の人たちか、ついぞ知ることはなかったが、アルところには有ったのだ。

となりのオテラ
心貧しかったわけではない、多分。
ある日我が家に、東本願寺のぼんさん(坊様)が二人やって来た。
その頃私は近所の友達と二人で、お東さんの上(かみ:北側)にある大谷保育園に
通園していたのだが。
ぼんさんらは母親に、本願寺の境内を抜けて保育園に行かせないよう言い置いて
帰って行った。
僕たちは、お東さんの前の大通りを通らず、毎日、境内を横へ横へ、上へ上へと抜けて行ってたのだ。
天皇さんが使わはる「菊の門」横の止め格子も、僕らはするりと通り抜けてしまう。
どうもこれがマズかったようだ。
この素敵な通園路を使わなくなったワケは、ぼんさんに言われたからではない。
ある日この路で腐ったギンナンの実を踏みしだいてしまった。
以来、その臭いが私の脳に記憶されてしまったからだ。
その後、居酒屋でギンナンを注文できるようになるまでには、50年の歳月を要した。

ぼくらの遊園地
貧しさから生まれた知恵か悪知恵か。
我が家から歩いて5分ばかりの河原町通り沿いに百貨店があった。屋上には定番の遊園地があった。
当時は丸物(まるぶつ)百貨店で、それが近鉄百貨店となり、今はヨドバシカメラになっている。
一通りの遊具があったけれど、僕らのお気に入りは飛行塔と丸いプールを廻る四人乗りの
クルーザー(?)だ。
残念ながら、飛行機は地上すれすれにしか飛べないし、ボートはあえぐように、ゆっくりとしか進めない。
なぜなら、閉園後の夜間で電源が切られているからだ。自分たちで押したり、引いたりするしかない。
僕らは夜な夜な建物の外側の階段を登って、秘密の遊園地を満喫していたのだ。
ある夜、その階段の前まで行くと、鉄格子の扉に大きな南京錠が掛けられていた。
貧しい僕たちの遊園地はこうして消えて行った。

ボッボッぼくらは少年探検隊
みんな~、歩調をとれ~
七条通りに出るぞ~ 
それから真っすぐ、鴨川渡って、京阪電車の踏切超えて、三十三間堂の前通って
智積院さんの脇道から、東山へ突入!
貧しくても僕らは元気だった。
道なき道を分け入って、漆にかぶれ、突然の夕立にうたれて、
そして、枯れ枝一本背にかつぎ、夕日を追いかけるように我が家をめざした。


「五山の送り火」の起源は宗教行事として、平安時代とも江戸時代ともいわれるが、昨年の、
放射能の薪拒絶騒動を見れば、これが単なる観光行事に過ぎないことがよくわかる。
「そんなもん焚いたら、どっからもお客さん来いしはりまへんえ」
いったい誰の一言が、京都らしいと言えばいかにもの、底意地の悪い出来事を
現出させたのだろう。

私はよく、大文字焼きの日と知らずに、寺町にある天寧寺へ墓参りに出かけてしまう。
出町柳駅でそれと気づいて、その人出に恐れをなし、先祖の供養もそこそこに、
大阪へと逃げ帰るのである。

いにしえ京都の思い出はせつなく、
今時の京都の出来事はやるせない。
プロフィール

テッペン爺

Author:テッペン爺
昭和22年(1947年)
京都に生まれ、
芦屋に育ち、大阪を経て
現在は芦屋に在住。
身長178㎝ 体重75㎏
販促企画のプランナーとして
適度に活躍(?)して33年。
現在に至る。

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