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旅「青春朦朧体―土佐の高知の・・・で」

そう言えば高知県
作家有川浩さん絡みで、映画「阪急電車」について二度書いているが、
最近「県庁おもてなし課」を読んでいて思い出した。
そう言えば「オレは高知県に行ったことがあるがや」。
高知県はこの小説の舞台であり、作家在住の地なのだ。

40年以上前

それは、今から40数年前、青春まっただ中の二十歳の頃であった。
バイト先の同僚、というか2つ3つ歳上の写真専門学校生で、かなりオッサンくさい人であったが、この人とともに高知県横断、ヒッチハイクの旅を敢行したのだ。
どちらがそんな事を言い出したのかわからないが、彼の親戚が住む愛媛県八幡浜をめざすという事であったから、多分、彼の発案であったと思う。
日付やルートの記録も無く、記憶も曖昧、という事においても、私はただただ、ついて行っただけ、だったのだろう。

海路、甲浦に上陸
夜半に、大阪、弁天ふ頭を出港、大阪湾を抜けて太平洋に出て、大きなうねりにみまわれながら、翌朝、高知県の東端、東洋町の甲浦港(かんのうら)に到着。
高知市からはずいぶん離れているここが、ヒッチハイクの旅のスタート地点であった。
改めて地図を見てわかったが、高知県は横方向に恐ろしく長い。
ネットのドライブルート検索でチェックしたら東洋町~宿毛間約230キロで6時間余りと出た。高速道路が出来た今でも、県内移動にはかなりの時間が必要なのだ。
私たちはいったいどれほどの時間をかけ、何台の車を乗り継いだのだろう。
残念ながら、今では全く記憶が無い。

室戸のハチキンさん
さて、最初の目的地は室戸岬であった、と思う。
地球温暖化のせいか台風の進行ルートが変わり最近はあまり耳にしないが、かつては台風が来ると「台風○号は室戸岬沖○○○キロにあって・・・」てな調子でお馴染みの岬だった。
ここでは、岬のそばの土産物屋さんに仁義を切って、店の横にある駐車場のような空き地にテントを張らしてもらった。食事は飯ごう持参の自炊なのだが、なんと、店のオネエさんがおかずだといって、煮ものを持ってきてくれた。
顔立ちも物腰もきりりとしたひとで、これぞ、土佐のハチキンさんと勝手に決めこんだ。

土佐電の人々
高知市にたどり着くと、定番の「はりまや橋」へ。
欄干がポコリと一本建ってるだけで、なんじゃこりゃ状態に陥ったことを覚えていたが、「県庁おもてなし課」の中で「日本三大がっかり名所」とあった。むべなるかな、である。
気を取り直し、土佐電の路面電車に乗って市内見物へ。 
何を見物したのか、またしてもさっぱりおぼえてないが、電車の中での出来事は今もよく覚えている。
とある停留所に電車は停まり、車掌がドアを開ける。
誰も降りない、誰も乗って来ない。
しばらくしてようやく、おばさんがゆっくりと立ち上がり乗降口に向かって、急がずあわてずの体で歩いて行く。
そして、電車から降りようとしたおばあさんは、そこで、電車に乗ろうとする知り合いの女性と出くわす。
乗降口を境にして、「あれ、ひさしぶりやにゃあ」「ほんに、どこへ行くがか」てな感じで、あいさつと世間話がしばし続いた。
乗客はこの状況を全く意に介さぬ風情で、車掌にいたっては、にこやかに話が終わるのを待っている。一瞬、二人の会話に入って行くのではと思ったほどだ。
40数年前とはいえ、都会の交通機関では到底お目にかかれぬ光景であった。

弱虫、根性無し
私たちは、高知市を過ぎ、海岸沿いではなく山沿いのルートで宿毛市をめざしたと思われる。大型トラックに乗せてもらった事、カーブが連続する未舗装の山道、崖っぷちの道に恐怖した事が記憶の中にあるからだ。
旅が終盤にさしかかると、ヒッチハイクと野宿と自炊が面倒になってきた私は、相棒に、バスに乗ろうとか、電車が速いとか、そろそろ旅館に泊まろう、などと口走りはじめる。
あかんたれの本領発揮である。
もちろん、地味に粘り強い相棒が、こんな繰りごとに耳を貸すはずもなく、ヒッチハイクの旅は続く。

どこかの町の小さな神社で
県内最後の日だったと思うが、小さな町の神社に一夜の宿を求めると、お堂に泊まるよう
言われた。半ば想像していたが、本当にお堂に泊るなんて、まるで時代劇である。
ただし、食事は神主さんの家で家族と一緒に御馳走になった。風呂にも入らせてもらった。
翌朝、街を歩いていたら、小学生の子らに、「あんたらきのうの晩、お宮さんに泊っとったひとやろ」と声をかけられた。
陽が落ちてからの行動だったのに、恐ろしや!田舎の監視網ならびに情報伝達力。

旅の終わりははまち
旅はおよそ10日間くらいだったと思うが、私たちは愛媛の八幡浜にたどり着いた。
相棒の親戚宅は、はまちの養殖をやっていて、当然のことながら、食卓にはとれたてぴちぴちの刺身が山ほど用意されていた。
ろくなものを喰ってなかったという事を割り引いても、この美味さは空前絶後のものであった。もちろんお酒もありがたく、しっかりといただいた。
夜の浜辺に出て、砂に脚を取られてるのか、酔ってるせいか、わからぬままにふらつき、歩き「オレはやったぞ~(て、なんもしとらんきに)」てな大声を張り上げて・・・。 
なんともしまりのない旅の終わりである。

40数年を経てまだおぼえてる、この日私が思いついた一句。

『情(なさけ)厚き、高知の国の、道悪(わ)ろし

季語も無く、字余りじゃけんど、
室戸の土産物屋のハチキンさん
土佐電で出会った、お客さん、車掌さん
山越えさせてくれた大型トラックのドライバーさん
一夜の宿を供してくれた神主さんとそのご一家、その町のみなさん
そして、乗用車、ライトバン、軽トラ、私たちを快く便乗させてくれた、
南国土佐のこころやさしきみなさんへ、
遅まきながら、ほんとうに遅まきながらですが、この一句を捧げます。

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プロフィール

テッペン爺

Author:テッペン爺
昭和22年(1947年)
京都に生まれ、
芦屋に育ち、大阪を経て
現在は芦屋に在住。
身長178㎝ 体重75㎏
販促企画のプランナーとして
適度に活躍(?)して33年。
現在に至る。

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