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映画 「 対決『阪急電車』 VS 『プリンセス・トヨトミ』 」

この2作品を対戦モードにしたのは、
映画の製作スタッフ同士が敵対しているからでもなく、
原作者の有川浩と万城目学の両氏が反目しているから
でもない。

先日BSで、湊かなえを加えた3氏のトーク番組が
放送されていた。まさに、今をときめく旬なメンツである。
万城目学 大阪出身 京大卒、
有川浩(ひろ・女性) 高知出身・在住 関学卒、
湊かなえ 尾道出身、武庫川女子大卒、淡路島在住。
みんな、関西に縁(ゆかり)のある人たちだ。
映画の舞台も同じ関西エリア。
たまたまなのか、計算づくなのかよくわからんが
有川、万城目両氏の原作が、ほぼ同時期に映画化され、
公開されている。
しかも、興業的にはどちらも大健闘で、7月3日(日)時点で
まだ公開されている。(7月15日までらしい)
共にヒットはしているがしかし、
その出来栄えは対極にあると私は思っている。

ということで、ちょっとしたいたずら心で、
私が勝手に俎上に載せただけのことではあるが、
きっと、作家の熱心なファンからは、
かなり叱られるだろうなあ、と恐れつつ、書く!

主役、脇役のネームバリューや派手さで言えば、
わずかに「プリンセス・トヨトミ」に分が有るか。
でも、そんなに差は無いと思うので、
監督の演出力と脚本の出来栄えが問われることになる。

もともと、どちらの小説もテンションの高いものではない。
意外に思われるかも知れないが、特に「プリンセス・トヨトミ」は
かなり平板で、これが直木賞候補であったとは驚きだ。
小説を先に読んだのだが、正直、映画でこれをどうやって
盛り上げるのか、いたく興味を覚えた。
シーンのことではなく、観客の心をどこで、どう叩くか、
という意味においてである。
これが、私に劇場へ足を運ばせる原動力となった。

さらに、「プリンセス・トヨトミ」は読み進んで行くうち、
いったい誰が主人公で、誰に感情移入すればいいのか、
わからなくなってしまった。
主役級が6人くらいいるのだが、小説での戸惑いは、映画でも
解消される事は無かった。
片や「阪急電車」も主役は複数、というか、なんと8人もいる。
しかし、こちらは逆に、すべての主役たちに気持ちを寄り添わせる
ことができた。

ここで、勝負アリ!
圧倒的に、「阪急電車」の勝ち~
なのだ。  
※注意!この先ネタばれになります。それと、とっても長いです。

監督の力量もあるけれど、それよりも「プリンセス・トヨトミ」は
ちゃんとした伏線があるにもかかわらず、シナリオが上手く
編まれていない。
2時間10分もの時間があるのに、エピソードの取捨選択を完全に
間違っているので、ストリーに説得力が無く、観客にはどうにも
納得できない話になってしまっている。
はっきりいって、製作サイドの検証不足である。

「阪急電車」では、主人公はこの人たちでございという説明が
あって、そのすべての人たちに、毎シーン、毎シーン、
観客が応援したくなってしまうようなシークエンスが
用意されている。
「あるな、こういう事」が見事にカリカチュアライズされて、
それが観客を2時間10分という長丁場に飽かず浸らせる。

さて、どちらの映画にも当然のことながら、
『この気持ちが、怒りがわかるか!』といった見せ場がある。
これがどうにもイケない、「プリンセス・トヨトミ」は。
茶子という女子中学生が怒りに駆られて、空堀商店街で番長に
跳び蹴りを喰らわせるシーン。原作を読んでいてひそかに
ココだなと期待していたのだが、実際には・・・

『蜂須賀ぁ~!』→ 声が上づっていて怒り感じられず。
と番長を呼び     これがOKテイク?
とめる茶子
<茶子の跳び蹴り>→ 跳べてないないし、蹴りがキマッてない。
              このカット割りでは迫力無し。
              ストップモーションと
              スローモーションの組み合わせで、
              とてもいいシーンがつくれたのに。
スローモーションといえば、綾瀬はるかが商店街を駆け抜ける
シーンに多用されている。彼女のカクレ巨乳がユッサユッサと
揺れ動く様は圧巻で、もちろん個人的にはOKだが、
映画として何の必然性も無い。
スロモの使いどころ、これまた間違ってしまった。

「阪急電車」の見せ場は、DV男との別れ話のシーン。
― 喫茶店で交わされる、落ち着いた、それでいて憤怒の情を
秘した静かな会話。話がついて、友人の女性が男から
ケータイを取り上げ、それを二つに『バキッ!』と
逆さ折りする。
観客の多くが息を呑み、多くの女性が「あっ」とか「きゃっ」とか、
声をあげていた。
― そして折れたケータイを、目の前のコップにドボリと漬ける。
これで、観客はもういちど息を呑む、という仕掛けだ。
見せ場というものはこうでなければ。

さて、〈映画的〉リアリティで言えば、
実際の沿線の、その素敵な街の佇まいで映画の空気が醸し出せる
「阪急電車」は有利だ。
一方、「プリンセス・トヨトミ」は無人の大阪市内がウリになって
いて、これがちゃんと出来ていれば、結構いい感じになっていた
かも知れない。
結果から言えば、嘘でもこうはならないという、期待はずれの
ものだった。
例えば、人気の無い街中には綾瀬はるか一人ではなく、
その向こうに東京や地方から出張して来たとおぼしき数人の
サラリーマンが茫然としているとか、
(遠くからアウトフォーカスで)
家の中でひっそりとたたずむ妻や子の姿とかが必要なのだ。
こいう押さえは小説でもなされていなかった。(これもシラけた)
無人の大阪に主人公が一人。「アイ・アム・レジェンド」じゃ
あるまいし、大阪の昼間、あるいは夕方の流入人口を考えれば、
こんな絵ヅラ(映像)は有り得ない。
この映画にはどこまで行っても、シナリオ段階での検証不足が
付いて廻る。

映画の終盤、「阪急電車」ではとても上手く主役の人々が交錯し、
心地良い収斂(しゅうれん)感で充たされる。
逆に「プリンセス・トヨトミ」は、原作にあったとても重要な、
絶対に押さえなくてはいけないシークエンスが抜け落ちている。
やくざのメンツよりも、父親から息子へ語り継がれる大阪国の掟の
重さ。そして、空堀の街で生きて行く家族のこれからを暗示する
重要なシーンなのに、である。
ゆえにカタルシスも無い。

映画のジャンルは違っても、「プリンセス・トヨトミ」も「阪急電車」も
根底にあるのは家族や人との絆である。
それを上手く語れた「阪急電車」、語れなかった「プリンセス・トヨトミ」。

以前ブログで、「阪急電車」は沿線住民にとって、一家に一枚のBDに
なりますね、と書いた。
でも残念ながら、「プリンセス・トヨトミ」に、空堀商店街や大阪の人達に
BDの購入をお奨めできるほどの、良い意味でのローカリティは無い。

両作品は共にロングランヒットしている。これが口コミ効果によるもの
だとすれば、「プリンセス・トヨトミ」にここまでダメ出しする私は
間違っているのかも知れない。
が、
映画を観た直後、私は周りの人たちにこう言った。
「プリンセス・トヨトミ」
読むなら観るな。
観るなら読むな。


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プロフィール

テッペン爺

Author:テッペン爺
昭和22年(1947年)
京都に生まれ、
芦屋に育ち、大阪を経て
現在は芦屋に在住。
身長178㎝ 体重75㎏
販促企画のプランナーとして
適度に活躍(?)して33年。
現在に至る。

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