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映画「監督の恐怖心から生まれる、間の欠落」

M1グランプリで準優勝となったスリムクラブ。
彼らの漫才の最大の特徴は、その長~い「間(ま)」。スベりたく無いという恐怖心に駆られて、速射砲のごとくボケと突っこみをを繰り返すいまどきの漫才とは一線を画している。モダンで、不条理演劇のごとき趣がある。
そう云えば、かつての松竹新喜劇(不条理演劇の真逆だが)、藤山寛美の間もすごかった。長台詞のあとにふっと訪れる間。
その間が観客の笑い、涙、溜息を支配していた。
もちろん彼らスリムクラブは、そんな域にはほど遠いが、若者に受け入れられ、私のような世代にも理解できる存在は貴重だ。
さて、映画だが、昨今の日本映画にも「間」が欠落している作品が多いと思う。それは特に若手、中堅監督の作品に顕著で、客の気を削いではならじと、わめく、吠える、倒れこむ、過剰演技のオンパレだ。情をシーンの積み重ねで観客の心に染み込ませるということができず、短絡的な台詞を雨あられと投げつけて来る。今の観客には台詞にしないとわからない、感情はボディアクションが伴わなければわからない。そんな恐怖に近い思い込みに支配されて、脚本はト書き少々と山ほどの台詞で埋め尽くされて行く。かくして、テレビのお手軽ドラマそのままの作風が大型スクリーンに吹き荒れることとなる。若手、中堅監督のみなさん、物語のはじまりから終わりまで、1時間半から2時間にも及ぶ時間が与えられているのだから、もう少し落ち着いて演出しようよ、と言いたい。そんな彼らに、爪の垢ならぬ映画の垢でも煎じて欲しい作品がある。(ちょっと文脈がヨレてますが) 

「グレートウォール」 1987年 100分 アメリカ
北京にサンフランシスコから30年ぶりに帰郷した中国人一家の姿を、ピーター・ワンが監督・脚本・主演を一手に引き受けて
コミカルに描く。何しろ本人の体験談なのでそれもありかと思うが、器用な男ではある。容貌や雰囲気が平田満によく似ている。アメリカ映画なのでかなり楽天的な雰囲気が支配しているが、映画公開の二年後に天安門事件が起きている。世情はこんなにのんびりしたものではなかったのかも知れない。エンドロールでピーター・ワンが太鼓を叩きながら民謡を歌っているのだが、なんとも気持良さそうである。

「風の丘を越えて/西便制」 1993年 113分 韓国
時代は1960年頃、韓国の伝統芸能、パンソリ(浪曲のようなもの)を糧として、各地を流れ歩く旅芸人親子の物語。劇中歌われるパンソリは凄絶で、胸を打つ。一時、消滅しかっかっていたパンソリは、この映画をきっかけに復活したときく。ストーリーは
悲惨きわまりないのだが、急がずあわてず、ちゃんとした間合い、巧みな演出と演技は、観る者に不快感を与えない。
その分上映時間はとチト長い。

「山の郵便配達」 1999年 93分 中国
1980年代の中国の険しい山岳地帯を受け持つ初老の郵便配達人とその息子、そして、お供の犬の物語だ。長年勤めてきた仕事を息子に引継ぐ最後の郵便配達行が淡々と描かれている。近代化の埒外にある地域の自然の美しさ、農村の貧しさ、民族の多様性もよくわかる。派手さこそないが(実はワン!シーンある)、心にしみる秀作だ。チャン・イーモウ監督の「あの子を探して」をしのいで、1999年の中国金鶏賞作品賞、主演男優賞に輝いた。

3つの作品に共通するのは、作品ごとに趣は違うが、必要最小限の台詞で醸成された静謐感だ。それが、現実社会のリアル感ではない、映画としてのリアル感で観客をドラマに浸らせ酔わせる。
少しばかり昔の映画なのでご覧になっている方も多いと思うが、私はこれらの作品を永久保存版として、何年かに一度観ている、というか、観たくなってしまう。

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プロフィール

テッペン爺

Author:テッペン爺
昭和22年(1947年)
京都に生まれ、
芦屋に育ち、大阪を経て
現在は芦屋に在住。
身長178㎝ 体重75㎏
販促企画のプランナーとして
適度に活躍(?)して33年。
現在に至る。

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