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人「社長になれる!魔法の、昭和の、小さなスナック」

サラリーマンは社長になりたい!?
ずいぶん昔、ある大手企業の部長とミナミの居酒屋に行った時のことだ。
カウンターに座った私に店主はこう言った。
「社長!何しましょ?」 
もちろん、当時私は社長でもなんでもないし、
その呼び掛けは、浪速の客商売の常套句に過ぎない。
と、その時、隣の席にいた部長が店主に向かってボソリと言った。
『俺にもそう言って・・・』
かつて、サラリーマンにとって「社長」は憧れの地位だった。
逆に、今どきの、それも大企業の若いサラリーマンたちは、
そんな面倒な役職はごめんだと思っているような気がする。

そこは昭和の香り漂う小さなスナック
と言うと、ママからはきっとキツイお叱りを被るだろう。
カウンター八席ばかりとボックス席がひとつ、カラオケがあって、
庶民的な価格とママの手作り料理によってもてなされる、という事において
昭和なのだ。
常連客となって10数年、大阪ミナミの端しっこにある小さなお店である。

森山店内縮小


超有名大企業の社長誕生!
この店の常連客の中から、ついこの間、一部上場されている
巨大企業の社長が誕生した。
巨額の赤字決算による前社長の引責辞任に伴う就任で、
マスコミの取材記事によれば、ご本人にとってそれは、
晴天の霹靂であったそうな。
きっと、ビミョーな心境なんだろうな~。
私の知り合いの紹介らしいのだが、店で遭遇したことは無い。
ずいぶん気さくな人らしい。
その後、部下をどんどん送り込んで来てくれたという。
ま、ご本人はもう来ることはできないだろう。
ママにとっては、嬉しくも悲しいことだ。

そう言えば社長続々!
今回の件で気がついたのだけれど、この店の常連となってから
社長になった人がずいぶんいることに気づいた。

かく言う私も、グループ会社の部長に連れて来られて、
その数年後、社長になった。

そして、その部長は去年、我が社の社長となった。

私の知人を介して常連客となった人は、
もうすぐ、有名な化学薬品商社の子会社の社長になるという。

今は上海在住の女性は、負債を負った建材商社を買収してあげて
オーナーとなり、毎月大阪にやって来て、この店に顔を出す。

パンストメーカーの社長になった人もいる。
パンストメーカーは市場をグンゼや福助など巨大メーカが牛耳っていて、
弱小メーカーはタイヘンなのだそうだ。
なりたくてなったわけじゃない感アリアリ。

来たら社長になれる?
それにしても、ここに登場した人たちは、ギラギラと社長を目指した感が
無く、なりゆきで社長になってしまったという風情である。

もしあなたが誰かに連れられてこの店に来て
心から気にいって、常連客になったとしたら、
あなたの「社長になれる度」はグンと跳ね上がったことになる。

逆に、カラオケが嫌いで、クラブやラウンジのごとき華やかさや、
お色気必須という方には、はなはだ不向きな店であり、社長への道は
別途切り開いてもらうしか無い。

最後に、言わずもがなのことではあるが、
この店の魔法が首尾よくかかって見事社長になれたとしても、
良き社長になれるかどうかは、保証の限りではない。
それは、ご当人の努力、所業次第ということになる。




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人「元帝國陸軍航空隊整備兵 ― この叔父のことを書いておかなくては」


戦後まもなく、昭和27~8年頃、東京、三軒茶屋に向かう東急世田谷線沿いの道。
緩やかだが長く続く坂道を電車と並走するバス。
バスの運転手は左手の軌道を走る路面電車型の車両を一瞥すると、アクセルを踏み込んだ。
電車との距離が開く。「今日は勝った」と思ったその時、電車のモーターが意外な底力を見せて、
ついにはバスを抜き去っていった。
その夜、この運転手は車庫でエンジンの調整に励んでいた。
「こんどは負けないぞ」という思いを胸に。
この、バスの運転手が私の叔父だ。

この話はずいぶん前によく聞かされた。この人が、なぜこれほどまでにこの勝負にこだわるのか、
それは単に、気性、性格の問題だと思っていた。
マイカーも、中古車を乗り継ぎ、自分の手でチューンアップしていたのは、バスの運転手で
エンジンの整備に長けているからだと思っていた。

3年前、久しぶりにこの人の家を訪れた時。
きっかけは何だったか忘れたが、話題が彼の経歴に及んで、初めて、叔父が旧陸軍の航空整備兵で
あったことを知った。
無類の航空機マニアである私の親類縁者にこんな経歴の持ち主がいようとは。
電車との競争は単なる勝負ではなく、その目的は、自分が整備したエンジンの力を確かめる事に
あったのだ。
もちろん、かなり負けん気の強い性格ではあるのだが。

その後、かなり断片的ながら、
陸軍の主力戦闘機であった、隼、鐘馗、飛燕、疾風などのエンジンや機銃などの武装、機体の整備に
携わっていたことを聞いた。
この叔父が、航空雑誌やプラモデルでしか知らない憧れの戦闘機にその手で触れていたなんて。
もっとも、これはオタクの羨ましがり方で、興味の無い人には何のことやら、だと思うが。
さらに、終戦間近、連日来襲する米軍艦載機の機銃掃射に追われに追われたこと。
戦争が終わっても、米軍がテスト用として持ち帰る日本の戦闘機を整備するため、三ヵ月も故郷に
帰れなかったこと。
戦後、叔父が愛してやまない航空機の世界に戻ろうとしたが、英語の壁にはばまれ、かなわなかった
こと。
そして、83歳の現在に至るまでの、とても明るくて、面白い苦労話の数々を、ハリのある声音、
楽しい語り口調で話してくれた。
栃木なまりに横浜弁がミックスされているので、いささか聴き取りには苦労したが。

1式隼縮小
■一式戦 隼 海軍の零戦と比較され、小さくて武装も貧弱で脆弱
 と評されるが、ちゃんと爆撃機も撃墜している。最初から防弾装
 鋼、防弾ガラス、防漏型の燃料タンクが装備されていて、太平洋
 戦争全期にわたって生産された優秀機。
 (開発・生産 中島飛行機―スバルの富士重工がその流れを汲む)

2式鐘馗縮小
■二式戦 鐘馗 1500馬力の大きなエンジンを搭載。
 時速600㌔以上のスピードと優れた上昇力を持つ迎撃戦闘機。
 一撃離脱の空戦スタイルは米軍の戦法と同じ。
 戦国武将のごとき格闘戦にこだわる古参パイロットには不評であ
 ったが、その性能は戦後の米軍による評価テストでは、最高位に
 位置づけられている。(開発・生産 中島飛行機)

3式飛燕縮小
■三式戦 飛燕 ベンツの水冷(液冷)エンジンをライセンス生産して
 搭載。機体は優秀だったが、当時の日本の工業力ではこのエンジン
 を 安定的に供給することができず、整備も難しかったためトラブ
 ルが多かった。叔父は、不時着した飛燕を出張修理したことがある
 という。戦争末期には、空冷エンジンに換装した五式戦が登場して
 いる。(開発・生産 川崎航空機―現在の川崎重工業)

4式疾風縮小
■四式戦 疾風 2000馬力級エンジンを搭載し、時速700㌔/h近い
 スピードで日本の戦闘機中最速を誇る。
 米軍のテストでは、高高度性能も含め、日本の最優秀戦闘機とさ
 れている。(開発・生産 中島飛行機)

先日、娘夫婦を伴って、結婚の報告を兼ね叔父の家を訪れた。
この時もまた、叔父は自ら作った見事な出来栄えの隼やら疾風やらのプラモデルを手に、
往時の話をいろいろしてくれた。
1/72の小さなプラモデル「隼」には細かな陸軍機の迷彩が描かれていた。
これを、齢八十を過ぎた人が作ったのかと、驚きを禁じ得なかった。

後日、娘からメールが来て、娘婿がプラモデルをはじめると言い出したとあった。
83歳の老人の話や生き様が30歳の若者に少しばかり刺激を与えたのかも知れない。
トレンド情報だけが刺激ではないのだ。

日曜の午後、私はせっせと宅急便の段ボールにプラモデルを詰め込んでいる。
こののち一生かけても完成させることはできないであろう、おびただしい数の飛行機プラモの
ストックの中から、初心者でもつくれそうな機種を選りすぐって。


飛行機プラモの王道は1/72や1/48かと思うが、住宅事情が許せば、
  さらには奥さんとの折り合いがついているのであれば、1/32モデルは
  作り応えもあり、迫力満点だ。


人「ルーブルのため息が聴こえた!ような気がする」

今年の1月、パリ。
体調があまり良くなかったので、ツアーを離れ、ゆるゆると市内を巡った。
セーヌ河の遊覧船、バトームーシュに乗り込み1時間半のクルーズを楽しんだ。
料金は10ユーロととても安いのだが、妻と私の他、日本人の姿は無い。
多くの日本人観光客には、お一人様2万円也のディナークルーズが人気らしい。
船内の案内も、仏、英、スペイン、そして中国、韓国語で日本語は外されている。
さほどに、C国の観光客はその量において、その購買力において、他国の観光客を圧倒している。
パリ 縮小セーヌ台船
■セーヌ河を行く産業船はデザインがお洒落。 プッシュ式も珍しい。

もちろん、これら、良くも悪くも近年最強のC国観光客は、ルーブル美術館へも怒涛のごとく押し寄せてくる。
ヨーロッパの美術館はおおむね写真撮影やビデオ撮影、模写などにとても寛容だ。
だが、さすがに、フラッシュはNG、三脚もNG、もちろん触れてはいけない。

数年前、ドイツ・ミュンヘンの近代美術館に行った時、小学生の校外学習に出くわした。
ここには、ダリをはじめとして、日本に2、3枚持って来ただけで、大盛況の企画展が
開催できるであろう名画が山ほどあった。
これを、生徒たちは床に寝っころがって写生していた。
振る舞いはとても自由で、明るく、それでいて、やってはいけない事は心得ている。
教師のレベルが高く、社会的な教育が充分になされているからだろう。
日本の小学生をこんな開放的な美術館に連れて行ったら・・・想像するだけで疲れる。

これも数年前のことだが、日本有数のドアハンドルメーカ―のショールームで打ち合わせをしていた時。
ここは、とても質の高い展示空間として定評のある場所なのだが。
ここに、デザイン専門学校の学生とおぼしき集団が、教師に伴われてドヤドヤと入って来た。
見学自由なのだが、とてもさわがしく、下品きわまりない振る舞いにたまらず、私が、「いいんですかねえ」と言うと、
担当者が教師のもとへ。
引率の教師は、彼らをコントロールする自信が無いと言って、あっというまに引き揚げていった。

さて、ここルーブルでも、彼らC国人観光客をコントロールできる人はいない。
彼らは、有名な絵画、彫刻を取り囲み、デジカメや携帯で写真を撮りまくる。
作品をじっくり観る、よりも、親戚縁者への証拠写真づくりに精を出しているのだ。
人によっては、むきだしのカンバスにカメラを近づけ、フラッシュを浴びせかける。
ハレーションおこすだけだろう、意味わからん。
地球温暖化による気候変動よりも先に、ルーブルの退色、変色がはじまるな、
きっと。

ルーブル 展示3
■「勝利の女神」は取り囲まれていた。

ルーブル 展示5
■「ダヴィンチのモナリザ」は防弾ガラスに守られていたが
 UVカットガラスのほうがいいのでは。

ルーブル 展示4
■名画通り商店街の風情。名画がフツーに見えてしまう。

フランスにとって、C国は軍事技術も含めてビジネスの上得意だ。
イオンに買収され完全撤退した「カルフール」も、上海などでは今なおムクムク増殖中である。
だから、ルーブルの館員は何も言(え)わない。

その所蔵作品の数を考えれば、写真など一日中撮りまくったところで、たかが知れている。
そんなことは先刻ご承知のパリっ子たちは、彼らと上手く距離をおいて、日常のルーブルを
楽しんでいる。
美の哲学に満ち満ちたこの空間を。
日本人もはやくこの域に達したいものだが、旅先での振る舞いを見る限り、老若共に無理!カナ?

ルーブル窓辺
■ほんとうはこんな感じがいい。

ルーブル 展示1
■うーん、名画より絵になる子供たち。

映画「ナイトミュージアム」ではないが、
夜な夜な名画から、描かれた人々が出てきて、
『困ったやつらやなあ、なんとかならんのかいな』(もちろん仏語で)てなことを
言ってるな、きっと。


▼ZAZ(ザズ)めちゃめちモダンなシャンソンです。歌声がとても魅力的。
来日したら万難を排して行こうと思ってます。
まずはYou-Tubeでお楽しみあれ。

人「橋爪功さんの人柄にほんのわずか触れられた一日」


何十年も仕事をしていると、B級、C級クリエータにも有名芸能人と
仕事をする機会が巡って来る。
もちろん、半日、一日のことであって、ご本人の深い部分が
わかる訳も無く、ほんの出会いに過ぎないのだが。

今から十数年前、恵比寿のスタジオ。
大阪からスタイリストを伴って、橋爪功さんの撮影に臨んだ。
大阪のオッサンとオバハンが東京へ乗り込んだ体だが、
このことが、あとで意外な状況を生むことになる。

しかしまあ、この人は飾らない。
スタジオにはスズキの軽、4駆のジムニーを自ら運転してやって来た。
ベンツかBMWあたりと思っていたが、ジムニーは2台乗り継いでる
そうな。(ま、ベンツ、BMW級も所有しているとは思うが)
ディーラーのセールスマンが良い人なので、ついつい、だそうだ。
とにかく、撮影の合間にいろいろ話してくださる。(6つ年長なので謙譲語で)

劇団のために、一生懸命テレビで稼がなくてはならないこと。

新地の安くて楽しいお店のこと。(後に行ったのだが、案内通りの素敵な店)

奥さんの親に結婚の許しを乞うための沖縄への旅。(当時、奥さんはまだ大学生だった)
伝統の綱引きで、引き手としての参加を許され、これが結婚の許しでもあったこと。
この話を彼は、シナリオを諳んじるように、楽しげに話してくれた。

娘さんのこと、これは私の娘のことと合わせて、ちょっとした議論と
なった。
娘の結婚式で男親は泣くか?という話なのである。
彼は、私が絶対に泣くと主張する。
私が、絶対に泣かない、というと、結婚式に参列して確かめるという。
後に、ヴァージンロードを娘と歩いた時、私は心ひそかにつぶやいていた。
「泣いてないよ、橋爪さん」

撮影が終わって、スタイリストが、撮影に使った小粋なワイシャツを
橋爪さんにプレゼントした。
彼は、満面の笑みとお目めキラキラ状態で「ほんま、ええのん?」ん??
大阪弁?だな、さっきから。
そう、橋爪さんは大阪市東住吉区出身、府立天王寺高校という経歴なのだ。

なんとも飾らぬ人ではあるが、この人が、かつては小川真由美という
とびきりモダンな女優と共に暮らした「豪の者」であることを忘れては
なるまい。

帰り際、マネージャーが私のところへやって来て、
「橋爪が日常会話であんなに関西弁を喋るのを初めて聞きました」と
その驚きを隠さなかった。
大阪のオッサン・オバハンパワーの面目躍如である。

あれから十数年、
今日も、テレビの向こう側で、
その人となりを(ほんのわずかだけれど)知っている人が
名演技を披露している。



人「過失×発想力×決断力=奇跡―その2」

ハドソン川の奇跡
2009年1月、オバマ大統領就任式の数日前。
150名の乗客を乗せたUSエアウェイズのエアバスA320は
ニューヨーク、ラガーディア空港を離陸直後、バードストライクに
みまわれた。
これにより両翼のエンジンはフレームアウト(停止)。
充分な高度に達しないまま全ての動力源を失った機体で
飛行を続けることはできない。

離陸上昇中の完全なフレームアウトへの対処法はマニュアルには
無い。
航空管制官は近くの小さな空港への着陸を提案する。
彼らはその職業柄、能吏ではあるが発想力に欠けるきらいがある。
考えることは、どの「空港」に降ろすかということである。

低高度で機体が推進力を持たないため、市街地への墜落を危惧した
機長の判断は、ネガティヴであった。
彼は、眼下に流れるハドソン川への着水を決断する。

ただし、河川や海への着水もまた緊急時のマニュアルでは想定
されていない。
水は柔らかな液体であるが、200キロ近い速度で接する水面は
地面と同じ堅さとなり、胴体着陸と同じ状態となる。
さらに、エンジン等が水中に潜り込めば、それが抵抗となって
機体はバランスを崩し、容易に転覆、破壊されてしまう。

機長は接水時の抵抗を抑えるべく、高度の無い中、ハドソン川の
川下に向けて巧みに機体を旋回させる。
そして、機体の尾部から着水。
両翼のエンジンポッドが水面に触れないよう、
その姿勢を可能な限り続け、滑るような見事な着水を果たした。
鳥にエンジンパワーの全てを奪われ、ハドソン川に着水するまで、
その時間は、わずか3分であった。

この3分で、機長は、エンジンの再点火を試み、状況を把握し、
地上への連絡を行い、地上への被害を考慮し、マニュアルには無い
川への着水を発想し、それを決断し決行したのである。

福島原発が現在の状況に陥って、1カ月もの時が過ぎ去った。
この過失に、発想し決断する機長(リーダー)は見当たらない。



プロフィール

テッペン爺

Author:テッペン爺
昭和22年(1947年)
京都に生まれ、
芦屋に育ち、大阪を経て
現在は芦屋に在住。
身長178㎝ 体重75㎏
販促企画のプランナーとして
適度に活躍(?)して33年。
現在に至る。

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