スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

旅「ケアンズのPlainでPlaneな日々」

ケアンズ挙式後姿縮小

のこの姿を見るために、オーストラリア、ケアンズへ。
この街は、世界遺産グレートバリアリーフ観光の拠点であり、
ゴールドコーストへの乗り継ぎ地となる。
それゆえ、観光客の多くは日本人の若者たちだ。
小さな動物園の小さな教会で執り行われた結婚式は別として、
妻と還暦過ぎたオバちゃん二人を引き連れてのケアンズ滞在5日間は、
チトもてあまし気味の毎日であった。

マングローブの森を切り開いて造られた
街はプレーン、まさに平原
ケアンズ中心部縮小

ケアンズ市内上空縮小

ケアンズカジノ縮小
なんと、カジノがある!街で最大級の建物

元密林!だから、これが、街路樹ケアンズ街路樹縮小

ケアンズコウモリ縮小
オーストラリアのコウモリはシティ派

ケアンズ国際空港はのどか
パイパー双発機縮小

ケアンズヘリ整備士縮小
整備士のオジサン、体重ありすぎてヘリ傾いてるし
ケアンズ救難機縮小
航空救難隊もヒマそ、結構なことです
ケアンズ救難クルー縮小

プレーンな日々とはいえ、こっちのプレーンは飛行機マニア最高の喜び
飛べ!めざせ!グレートバリアリーフ~
大きなバリアの岩礁、ってそのままやん
ケアンズセスナ縮小
これで飛ぶのだ! 7人乗りセスナケアンズ副操縦席縮小
副操縦士席ゲット!
GBリーフ上空縮小

GBリーフハート縮小
わお、ハートリーフ発見!シニア夫婦に幸せを!

海はといえば、これまたプレーンなペッタンコの船がお好きなようで
リーフ内が比較的穏やかなこともあって、
ヨットも客船もカタマラン(双胴船)が多い
カタマランヨット縮小
このタイプのヨットは完全に転覆した時の復元性に難ありだが
まず転覆しないだろう
カタマラン客船縮小
こんな客船があちこちの桟橋にうようよ

トロピカルZOOの動物たちもの~んびり
カンガルー縮小
あごの下や首筋を撫でてやるとグイグイ身を寄せてくる
ネコかお前は

『なあオッチャン、そんな退屈そうなコトばっかり言わんと、
また来てな~』
と言ってるような気がする
コアラにはなぜか関西弁が似合う
コアラ縮小







デザイナーズ家具、輸入家具のオンラインショップ Genufine
スポンサーサイト

旅「はじめてのお使い in USA」


はじめて海外に出たのは約27年前の1985年、39歳の時。
なんとも奥手な海外ツーリストであった。

当時、会社の経営方針にいささか屈託のあった私に、社長から、
アメリカを視察してきたらとの提案があった。
小うるさいのでガス抜きをさせようと思ったのだろう。

1985年11月、私は生まれてはじめての海外旅行に旅立った。
ツアーでもなく、たった一人で、アメリカへ。
最初の目的地はニューヨークであった。
現地で頼るは、元社員でフォトスタジオを経営しているK氏。
ただし一面識も無い。

ケネディ空港には日本人の女性秘書が迎えにきてくれるという。
それなら、一人でも楽勝と思っていたら、グループ会社から印刷物やら
サンプルやらダンボール箱三つもの手荷物持たされ、
体よく宅急便に仕立て上げられてしまった。
これが彼の地において、私に試練をもたらすことになる。

まずは伊丹から成田へ。
この便は釜山発のパンナム機で、韓国の基地から本国へ帰る米兵でほぼ満席状態。
騒然とした機内を、タンクのようなスチュワーデスのおばさんと、マッチョな
パーサーが行き交う。
日本人は私を含めわずか10数人、気分はいきなりアメリカだ。

成田からはアラスカのアンカレッジを経由してジョン・F・ケネディ空港へ。
当時はこのルートが多かった。

ケネディ空港に到着して、私は早くも実践英語をひとつ覚える事ができた。
「Make a line!」「メイク ア ライン!」「ちゃんと並べ!」
持たされた多くの手荷物に焦ってカートを取ろうとした私に浴びせかけられた
コトバだ。
振り向くと、そこには長蛇の列があった。
へいへい、ちゃんと並びますとも。
遠来の客にはもう少し優しくして欲しいが、これこそがアメリカという気もする。

出迎えの女性秘書からはペイジ(呼び出し案内)カウンターの横と指定されていた。
私はこのカウンターの右角に身を寄せて彼女を待った。
身の回りには例のダンボール箱三つとスーツケースに手提げバッグ。
なにしろ、海外旅行経験者からは、海外では荷物に気をつけろ~の、油断するな、
騙されるな、などなど、したり顔で山ほど警告を吹き込まれているので、
私は巌のごとくその場に立ちつくしていた。
通りがかりの人は、私の靴底には強力な両面テープが貼り付いていると思ったに
違いない。
英語力不足で確認はできなかったが。

「Mr. ○○ △□×♯=+▽!」
おお、ターミナルビルに響きわたるその名前、私だ!
後はわからんが。
だが、巌のごとく、かつ靴底に両面テープ状態の私は、一歩はおろか半歩も動けない。
後にわかったことだが、女性秘書はページカウンターをはさんだ左側、その距離わずか
10数メートルのところで待っていたのだ。
携帯電話が普及しはじめたのはこの数年先のことである。
そのうち見つけてくれるだろうと高をくくっていたのだが、なんと彼女は、わざわざ
チャーターしたストレッチ型のリムジンに乗ってマンハッタンへ帰ってしまった。

待つこと1時間、ようやく両面テープの呪縛から解き放たれた私はピックアップを
あきらめ、イエローキャブに乗り込んでマンハッタンを目指した。
この旅のキーワードはどうやら「ひとりぼっち」のようだ。

車がマンハッタン橋にさしかかると眼の前にマンハッタンの大夜景が広がった。
暮れ泥む摩天楼は、窓越しの淡い黄色の光に彩られていた。
その壮大なパノラマは、迫力ではなく、恐るべき圧力を持って私に迫ってきた。
心の中になぜか、20日間のひとり旅、恐るに足りずという想いが湧き上がった。

NY夜景本人.縮小JPG
■滞在3日目の夜。ちょっと余裕が出てきてこんなポーズも。
 マンホールからスチーム、冬のNYの定番シーン。

ニューヨークに2週間、そしてフロリダのオーランドへ、
さらに北米大陸を横断してサンフランシスコへ。
ひとり旅のこの先は長いのだ。





■初めてアメリカに行くならやはりNYだろう。
 結構キビシイ街だけれど あらゆる文化が
 凝縮されていることにおいてベストだと思う。
 その後に、西海岸へ、中、西部へ。
 R66の走破は積年の夢なので、そのうちに
 なんとか。
HIS

旅「青春朦朧体―土佐の高知の・・・で」

そう言えば高知県
作家有川浩さん絡みで、映画「阪急電車」について二度書いているが、
最近「県庁おもてなし課」を読んでいて思い出した。
そう言えば「オレは高知県に行ったことがあるがや」。
高知県はこの小説の舞台であり、作家在住の地なのだ。

40年以上前

それは、今から40数年前、青春まっただ中の二十歳の頃であった。
バイト先の同僚、というか2つ3つ歳上の写真専門学校生で、かなりオッサンくさい人であったが、この人とともに高知県横断、ヒッチハイクの旅を敢行したのだ。
どちらがそんな事を言い出したのかわからないが、彼の親戚が住む愛媛県八幡浜をめざすという事であったから、多分、彼の発案であったと思う。
日付やルートの記録も無く、記憶も曖昧、という事においても、私はただただ、ついて行っただけ、だったのだろう。

海路、甲浦に上陸
夜半に、大阪、弁天ふ頭を出港、大阪湾を抜けて太平洋に出て、大きなうねりにみまわれながら、翌朝、高知県の東端、東洋町の甲浦港(かんのうら)に到着。
高知市からはずいぶん離れているここが、ヒッチハイクの旅のスタート地点であった。
改めて地図を見てわかったが、高知県は横方向に恐ろしく長い。
ネットのドライブルート検索でチェックしたら東洋町~宿毛間約230キロで6時間余りと出た。高速道路が出来た今でも、県内移動にはかなりの時間が必要なのだ。
私たちはいったいどれほどの時間をかけ、何台の車を乗り継いだのだろう。
残念ながら、今では全く記憶が無い。

室戸のハチキンさん
さて、最初の目的地は室戸岬であった、と思う。
地球温暖化のせいか台風の進行ルートが変わり最近はあまり耳にしないが、かつては台風が来ると「台風○号は室戸岬沖○○○キロにあって・・・」てな調子でお馴染みの岬だった。
ここでは、岬のそばの土産物屋さんに仁義を切って、店の横にある駐車場のような空き地にテントを張らしてもらった。食事は飯ごう持参の自炊なのだが、なんと、店のオネエさんがおかずだといって、煮ものを持ってきてくれた。
顔立ちも物腰もきりりとしたひとで、これぞ、土佐のハチキンさんと勝手に決めこんだ。

土佐電の人々
高知市にたどり着くと、定番の「はりまや橋」へ。
欄干がポコリと一本建ってるだけで、なんじゃこりゃ状態に陥ったことを覚えていたが、「県庁おもてなし課」の中で「日本三大がっかり名所」とあった。むべなるかな、である。
気を取り直し、土佐電の路面電車に乗って市内見物へ。 
何を見物したのか、またしてもさっぱりおぼえてないが、電車の中での出来事は今もよく覚えている。
とある停留所に電車は停まり、車掌がドアを開ける。
誰も降りない、誰も乗って来ない。
しばらくしてようやく、おばさんがゆっくりと立ち上がり乗降口に向かって、急がずあわてずの体で歩いて行く。
そして、電車から降りようとしたおばあさんは、そこで、電車に乗ろうとする知り合いの女性と出くわす。
乗降口を境にして、「あれ、ひさしぶりやにゃあ」「ほんに、どこへ行くがか」てな感じで、あいさつと世間話がしばし続いた。
乗客はこの状況を全く意に介さぬ風情で、車掌にいたっては、にこやかに話が終わるのを待っている。一瞬、二人の会話に入って行くのではと思ったほどだ。
40数年前とはいえ、都会の交通機関では到底お目にかかれぬ光景であった。

弱虫、根性無し
私たちは、高知市を過ぎ、海岸沿いではなく山沿いのルートで宿毛市をめざしたと思われる。大型トラックに乗せてもらった事、カーブが連続する未舗装の山道、崖っぷちの道に恐怖した事が記憶の中にあるからだ。
旅が終盤にさしかかると、ヒッチハイクと野宿と自炊が面倒になってきた私は、相棒に、バスに乗ろうとか、電車が速いとか、そろそろ旅館に泊まろう、などと口走りはじめる。
あかんたれの本領発揮である。
もちろん、地味に粘り強い相棒が、こんな繰りごとに耳を貸すはずもなく、ヒッチハイクの旅は続く。

どこかの町の小さな神社で
県内最後の日だったと思うが、小さな町の神社に一夜の宿を求めると、お堂に泊まるよう
言われた。半ば想像していたが、本当にお堂に泊るなんて、まるで時代劇である。
ただし、食事は神主さんの家で家族と一緒に御馳走になった。風呂にも入らせてもらった。
翌朝、街を歩いていたら、小学生の子らに、「あんたらきのうの晩、お宮さんに泊っとったひとやろ」と声をかけられた。
陽が落ちてからの行動だったのに、恐ろしや!田舎の監視網ならびに情報伝達力。

旅の終わりははまち
旅はおよそ10日間くらいだったと思うが、私たちは愛媛の八幡浜にたどり着いた。
相棒の親戚宅は、はまちの養殖をやっていて、当然のことながら、食卓にはとれたてぴちぴちの刺身が山ほど用意されていた。
ろくなものを喰ってなかったという事を割り引いても、この美味さは空前絶後のものであった。もちろんお酒もありがたく、しっかりといただいた。
夜の浜辺に出て、砂に脚を取られてるのか、酔ってるせいか、わからぬままにふらつき、歩き「オレはやったぞ~(て、なんもしとらんきに)」てな大声を張り上げて・・・。 
なんともしまりのない旅の終わりである。

40数年を経てまだおぼえてる、この日私が思いついた一句。

『情(なさけ)厚き、高知の国の、道悪(わ)ろし

季語も無く、字余りじゃけんど、
室戸の土産物屋のハチキンさん
土佐電で出会った、お客さん、車掌さん
山越えさせてくれた大型トラックのドライバーさん
一夜の宿を供してくれた神主さんとそのご一家、その町のみなさん
そして、乗用車、ライトバン、軽トラ、私たちを快く便乗させてくれた、
南国土佐のこころやさしきみなさんへ、
遅まきながら、ほんとうに遅まきながらですが、この一句を捧げます。

旅「夏の蓼科×BMW X3=冷や汗の旅」

本格的な夏、節電の夏。
政府は失策、無策の連続でさらに暑苦しい。
ここで怒りのテンションをあげると余計熱く!なるので
ちょいと涼しイイ旅の話を。

目的地は、長野県茅野市 ―「ちの」と読むが、チノパン発祥の地では
もちろん無い ― の、その先の向こうの蓼科高原。
ひと山越えれば軽井沢というロケーションの「蓼科倶楽部」という
ペンションだ。
ここのオーナーと私の知人が知り合いという関係で、
毎年という訳ではないが、もう20年近く行き来している。
オーナーは関西の女性で、ほぼ一人でこのペンションを切り盛りして
いる。
地元の食材を使った欧風料理を苦も無く調理し、ハーブなんぞも育て
つつ、庭周りも手入れしつつと、忙しいことである。
蓼科ということもあって、宿泊客の多くが首都圏の人達だ。
中央フリーウェ~♪で2時間半もあればやって来れる。
その点、われら関西人は5時間半のドライブと片道9,000円也の
高速料金を強いられる。
蓼科倶楽部6
■北アルプスを左にビーナスラインを約30分

名阪国道を使えば6,000円位だが、ま、あまり走りたい道ではない。
中央道を諏訪ICで下り、槍ヶ岳、穂高、乗鞍を左に見ながら
ビーナスラインを走ること30分。
英国風のチョイしぶの建物が見えてくる。
ようこそ「蓼科倶楽部」へ。
蓼科倶楽部

蓼科倶楽部5
■庭というか林というか

当然のことながら、冬場はスキー、スノボだ。
10分で裏山のピラタス、車山や白馬も近い。
いつだったか、冬のある朝、私がリビング奥のテーブルで新聞を
読んでいると、宿泊客が次々と挨拶にやって来た。
Tシャツにオーバーオール、鼻眼鏡という出で立ちで、エラソーに
朝刊を読んでいたので亭主と勘違いされたようだ。
いつ行ってもリラックスでき、我が家のリビングにいるようで
楽ちんなのだ。
蓼科倶楽部4
蓼科倶楽部7
■楽ちんリビングでのんびり

さて、2年前の初夏、
私達夫婦は、知り合いの夫婦とともに、久しぶりに「蓼科倶楽部」へ
行くことになった。
同行の夫婦は初めてなのだが、きっかけは、ダンナの珍妙かつ大胆な提案で
あった。
なんと、当時愛車がBMWだった彼が、4駆のX3の試乗をディーラーから
取り付け、それで、蓼科まで行こうというのである。
価格 6~700万円の車で、 往復800キロ!
これを試乗というのであろうか。
もちろん、車の能力に非の打ちどころは無い!
が、もともと、私はこの車のデザインと価格には、大いに抵抗感がある。
というよりも、ハナから買う気も無く、カネも無く、なので
旅を終えて、ディーラーへ車を戻しに行った時が大変であった。
私はBMW X3を買う気充分のオッサンに仕立て上げられた。
感想聴かれ~の、アンケートとられ~の、住所書かされ~の。
この後、猛烈な売り込みにさらされることになる。
壮大かつ空前絶後の大試乗のツケは大きい。
蓼科X3縮小
■正面の建物が「蓼科倶楽部」
 白い車が800キロ大試乗敢行のBMW X3 

蓼科や軽井沢に、事もなげに別荘を建て、いつでも暮らせる裕福な人達は
別にして―
夏、都会の暑さと煩わしさから逃れ、この地で過ごすひと時は、 
庶民にとって、大いなる贅沢だ。
夜、部屋の大きな天窓からは、恐ろしいほどの星ぼしが降りそそいでくる。

たまにしか行かぬのに常連ヅラさせてもらえることも、ありがたい。
もちろん、誰に対しても、初めての人にも、彼女はそう振舞わせてくれる。
そこが「蓼科倶楽部」の大きな魅力だ。

書いているうちに、次のプランが浮かんできた。
来年の夏は、結婚して東京で暮らしはじめた下の娘夫婦と、
こちらからは長女夫婦を引き連れて、「蓼科倶楽部」で合流しよう!
うん、これはなかなかイイアイデアだ。
さらに、両方の両親を呼べば、合計10名。
う~ん、「蓼科倶楽部」のキャパすれすれではあるな。

※ちなみに大手ホテル関連の蓼科倶楽部とは関係ありません。



旅「一幕限りのイタリア狂想曲」

10年近く前、カミさんと初めてイタリアへ。
毎度のことながら、オフシーズンで格安、
訪問地も、ベニス、フィレンツェ、ローマと
定番はちゃんと押さえてあるし
ステレオタイプのパッケージツアーとしては申し分無し。
そして、旅行社、添乗員にも、なんの落ち度も、不手際も、
モンクも無かった・・・のだが。

ベネツィアでの昼食は、カラカラの茄子のパスタで、
イタリア料理のイメージがガラガラと崩壊したのだが、
旅行代金に鑑みて致し方無しと。
ゴンドラは夜の乗船でろくに景色が見えなかったけれど、
これまた旅行代金に鑑みてやむ無しか。

美人のイタリア人ガイドに、京都、東本願寺界隈の景観保存が
お粗末と言われて、ま、私もそう思ってたので、
痛いとこ突かれてガックリ。

ベネチアングラスの直売工場では、
日本語の達者な、マフィアの若い衆みたいなのに付きまとわれて
ゲンナリ。

そして、水上バスに乗る時、日本人添乗員が、
列の最後尾にいる美男美女カップルはスリで~す、気をつけて~
って、何なんだココは!

フィレンツェでは、限られた自由時間の中、ムスメに頼まれた
グッチの腕時計を求めて、オッサンとオバハンが
街中を駆けずり廻り、ハアハア。

ローマのホテルでは、同じツアーの女の子が、スーパーで買った
安いワインの口を開け損ねて指をザックリ。
発熱したらしく、カミさんが手持ちの解熱剤を持って
部屋にキューコー!
安ワインのボトルは要注意らしい。

トレビの泉では、またしても美男美女の泥棒カップルが、
日本人女性観光客の腰前ポーチに平然と手を突っ込んで営業開始。
叫ばれてもニヤニヤ。
少しばかり離れた所にいる警官は、ボ~ッ。

旅行社の人に行くな!と言われていたのに、ポルタポルテーゼへ。
ガイドブックには「蚕の市」と記載されているが、カッコ付きで
泥棒市となっている。
で、事態はその方向に。
私の眼前に、豊満な胸もあらわに、赤ん坊に授乳している美女が、
立ちはだかる、ワァオ!
その横に、朝日新聞を広げた男の子、ン?
オヤジが、「色香」と「まさか」に混乱していると、
恐ろしく長身の、しかもまたしても、美女が肩越しに、
私のポケットから財布をヒョイ!
この一瞬のチームワークに、私はなす術もなく、
近くで見ていたカミさんは、一言「バ~カ」
しばらくして、オッサンが落ちてたよと言って、パスポートを
渡してくれた。
この人、チームの一員なんだけどね、ま、ラッキーとするか。

ここにはいろんな演目(だしもの)があって、
私が見たのは、店のオヤジと客との大喧嘩パターン。
椅子を相手の顔スレスレに振り回す大立ち回りなので、
知らない人は手に汗握ってハラハラどきどき。
その間にスリにやられるという次第。
だが、私はその手には乗らない!
さすが、財布をすられただけの事はある、グスン。

ホテルに帰って、添乗員に思いっきり叱られた。
イタリア人ガイドのおばあさんと共に近くの警察署へ。
アレ、入口が閉まってる・・・
塀越しに尋ねると、今日は日曜日でお休みなんだって!?
ローマ中心部の警察署は「営業」してるからそちらへどうぞって
往復5千円近くのタクシー代使って行くか、そこまで。
何なんだ、ココは!

そこで、ガイドのおばあさんからアドバイス。
カード会社や日本の警察向けに盗難証明があればいいのだから、
帰りの空港で盗まれたことにしようって、ナイスなプラン。

帰国の日、空港警察で、トイレで今しがたすられたと申告。
事情聴取無し、カードはブロックしたかと尋ねられただけ。
捜査並びに防犯意欲ゼロ!
ウソ申告で見事、盗難証明書をゲット!
イタリアの犯罪統計はかなり怪しいな、ゼッタイ!

建築物、家具、車、イタリアのデザイン力はスゴイ!
イタリア人の人柄も、犯罪者以外はグー。
なのに、私のイタリア旅行は一幕限りで終わりそうだ。
スマン!

HIS
プロフィール

テッペン爺

Author:テッペン爺
昭和22年(1947年)
京都に生まれ、
芦屋に育ち、大阪を経て
現在は芦屋に在住。
身長178㎝ 体重75㎏
販促企画のプランナーとして
適度に活躍(?)して33年。
現在に至る。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。